目的はパリ、目標はフランス軍

先月26日に日本に戻って約25日、馴染みの店もようやく義理を欠く事なく回り終えた。案の定酒量も増え、睡眠時間も運動量も削られ、体重は2K戻ってしまったが、次週からは自分のペースに戻し落とそうと思う。実は南仏にいた時に思ったのだが、チリツモでいいからと毎日4キロ走って、500m海を泳ぐというのがとても自分に合っていたように思う。スポーツをやる人から見たらそんな短い距離でと思うかもしれないが、週末に10キロ走るより毎日5Kの方が良いのはわかっているつもりだ。4キロも身体が重い時は半分歩くとか、調子が良い時は途中にダッシュやジャンプしながら走るとかを取り入れていた。また泳ぐのも海水の浮力に任せて肩を出来るだけ遠くに伸ばすようにゆっくりとだ。
長年というか故障もありながら何とか20年以上トライアスロンをやってきたが正直言って、そんなに素晴らしい記録だったわけではないし、その為にガッツリ練習してきたわけでもない。アイアンマンはさすがに相応な準備をしたが1度だけトライし14時間17分だ。マラソンも4時間を切れたことはない。ハーフアイアンマンと言われる70.3マイルが一番好きだが、若い頃は6時間ちょっとだが今は7時間後半だ。全体から言えば当然遅い部類に入る。しかし、それでもやってこれたのは完走した時の喜びはあるとしても、トライアスリートであるという自覚と、その為に何らかの練習癖がついているからじゃないだろうか。実は南仏を走りながら妙な感覚に浸っていた。痩せる目的はあったが、走っても歩いてもいいやと思いながら歩いていると走りたくなる。だんだんスピードを上げて辛くなったらまたしばらくゆっくりペースにする。その感じで良いんじゃないのかと思った。レースを考えるとキロ何分でとか距離を10キロ20キロと必要だが、自分は気持ちよく走りたいと思えばタイムも距離も自由で良いわけで、その自由が有る無いでは愉しさが違ってくるのだ。ふと「目的はパリ、目標はフランス軍」という戦争論の話を思い出してしまった。この言葉はモルトケかクラウゼウィッツが言った言葉だが、目的と目標を明確にすることが戦争において最も大事なことで有ると。しかし、これは言い換えるといろんなことに通じるのでは無いかと思う。今までの自分「目的はトライアスロン、目標はラン10K」だったと思う。しかし、南仏では違った「目的は愉しさ、目標は気持ちよく」に変わっていたのだ。もちろん若いうちは前者でも良いだろう。しかし、最近自分にその定義はちょっとしんどくなってきた。もちろん健康維持のためには何か運動をしたいと思うが、そろそろ目的や目標を変えた方が良いだろうと思うようになったのだ。若いうちはしんどいことも乗り越えなくてはいけない場面が多々有るだろう。またその苦労が人をつくっていく。しかし、もう自分の場合はしんどいことはやらなくて良いだろうと思うようになった。いやもうやりたくない。つまり今までのいろんなことに対する概念を変えれば良いんじゃないかと思うのだ。走ることも泳ぐこともやめない、でもトライアスロンの為じゃない。愉しさの為だ。人付き合いもビジネスの為というのは終えたつもりだ。新しく知人友人ができるのはやぶさかではないが、自らすすんで増やそうとは思わない。また疎遠になっていく人がいてもそれは自然の成り行きに任せればいい。思い起こせば、小さい時からあまりふざけた人生ではなかったと思う。勉強はしなかったが不良になったことはない。仕事にも一生懸命打ち込んできたつもりだ。楽しさと辛さは表裏一体だと思って生きてきた。しかし、もうそういう概念を一つ一つ変えていこうと思う。自分に対し「〜ねばならない。」という自分を追い込むような考え方から解放してやりたい。「したいかしたくないか」「楽しいか楽しくないか」だけで判断すればいいではないか。いく店もそのうち義理も何も行きたい店だけになるだろう。ハワイや南仏など別荘と呼べるものは海外にはあるが、今現在国内には無い。どこか良い場所がないかなぁと思ってはいるがなかなか思い浮かばない。しかし、これも自宅というものがキチンと気持ちよく過ごせて、更により充足できる場所をと思っているので、国内の場合はハワイなどとは違う思いでいる。自分がそこにどう居たいかを思うと定まらないのだ。決して急ぎもしないし、ふとイメージが湧いたら動こうと思う。
「構え」というのがあるが、構える必要のなくなった今、心の中を確認しながら動いていこうと思う。