来なかった地震、津波

7月5日は割と多くの人が避難に近い行動をとったのではと思う。しかし、単純に避難ではなく、どうせなら避難先を楽しむという行動が多かったのではないだろうか。
かくいう自分も故郷福井に移動したが、観光名所を久しぶりに訪れたり、地元の美味い食事に舌鼓を打った次第だ。
今回地震も津波も起きなかったが、学者の話を聞いていると今後訪れる時期が伸びれば伸びるほど、逆に来る確率が高くなるということだ。とにかく来てしまえばあとは100年以上来ない。こういう不安感の払拭に至らなかったのは少し残念でもあった。しかしまだ来ないことで防災の時間は稼げる。2030年以降は相当確率が高くなると学者が言っていたが、ならば今まで以上に対策をしなくてはと思う。太平洋沿岸部に住む人達は標高の高いところに越して欲しいし、一番被害が出る木造戸建ての耐震など再強化して欲しいものだ。東京も南海トラフでは被害が少ないかもしれないが、それでも震度4〜5くらいにはなるだろう。一番の被災は家屋の倒壊と火災だ。指を咥えて何もせず待っているのではなく、災害の多い日本だからこそ政府も国民ももっと意識を深めなければと思う。
福井の街を歩いているとフェニックス通りという通りがある。そう、この街はフェニックス(不死鳥)の街として名付けられている。それは戦災で街が焼け野原になり、復興最中の1948年にマグニチュード7.1、震度7の福井大震災で100%に近いほどの建物が崩倒壊したからだ。死者3,769人、負傷者20,000人以上、全壊家屋35,437戸。中心部では火災で県庁のある城址のお堀に飛び込みながらも死んでいった人達の話を母親から聞いたことがある。当時の写真にはほとんど瓦礫しか写っていない。その2度のほぼ全滅の状態から立ち上がった街として成り立っているので「フェニックスの街」と名付けられたのである。そのせいか街の中には古い歴史的建物などは一切無い。
阪神淡路の際の第一報死者数は17人だった。東日本の時は23人だった。つまり第一報で二桁の死者数は、何千、何万人の死者に至るということなのだろう。家族や、友人などを失った人達は今でも悲しみを引きずっている。そう思うと本来はもっと国がやるべきことがあるように思うが、今の政治には期待できない。そして国民も自分ごととして、自分の身を自分で守ることをしておかないとと思う。自分もこの災害国を捨てて他国に移るかどうかという考えがいつも頭の中にある。しかし、全てを身軽にして移るのはなかなか出来ない。ならば漫然としていないで、いろんな対策をしておこうと思う。
今回来なかったが、ホッとする気持ちではない。来るのが伸びただけだ。忘れた頃にやってくる災害。忘れないようにしていなければならない。
※写真は震災後の福井の街