THE LIFEFUMIO TAKASHIMA
ダイアリー2025.8.20NEW

デフレ脱却

日本政府がデフレ脱却を掲げているが一向に脱却できないでいる。その大元の原因はやはり高度成長期の亡霊に取り憑かれたままの日本社会ということではないだろうか?

高度成長期は大量生産、大量消費、効率化経営などアメリカ型の経営スタイルがもたらされた恩恵で日本は伸びに伸びた時代だった。それは工業化だけではなく、GMSやチェーンストアオペレーションが新しいスタイルとして脚光を浴び様々な消費社会でも次々と大手企業が生まれていった時代だった。しかし、小売の世界ではチェーンストアが台頭すると効率や量や速さなどが優先され、その結果低価格=勝者のような構図に陥ってしまった。そして低価格路線は庶民の声を代表するような文言となり世の中を席巻し、ユニクロという巨大企業を生み出したが、結果としてアパレルは90年台に15兆円あったマーケットが現在は8兆円にまでシュリンクしたし、家具マーケットも同じようにニトリという企業が成長したが3兆円のマーケットは1.5兆円になってしまった。つまり少数の低価格路線をうたう企業は巨大になりマーケット全体はシュリンクするというのが日本の消費社会の構図だ。

しかしである、今政府がデフレ脱却をうたうならこれまでのベクトルを変えないといけない。長期デフレの一因は、この「低価格モデルによる産業の痩せ細り」である。いつまでも、効率資本が重視され低価格=庶民の声を神格化してはいけない。

自分はいつもこう思う。コンビニを代表する便利さ、大量にモノを売る量、速さをうたうデリバリーやE Cなどは「豊かさ」をもたらしてくれたのだろうか?それらによってもたらされた我々の時間や金銭は結局IT絡みの効率化した仕事に使われ、情報で疲弊し、四六時中スマホやPCに向かうように仕向けられただけではないだろうか。少子化や高齢化など目の前にある大問題。今はまさにどうやってこの国なりの豊かさを創造し、デフレから脱却するかを政治も絡めて推進していかないといけない。

こんな事例があった。

セブン‐イレブンに代表されるコンビニは、現代日本において「便利さ」の象徴である。24時間営業、均質化された商品ラインナップ、決済や宅配といった付加サービス。それは効率を追求する社会において欠かせない存在となり、セブン&アイは小売の巨人として成長した。しかし一方で、グループ傘下の西武百貨店は立て直すことができず、結局は売却へと至った。百貨店が担ってきたのは「便利さ」ではなく、「豊かさ」の象徴である。選び抜かれた商品、上質な接客、都市文化を象徴する建築と空間。そこにあったのは、単なる効率ではなく「時間を贅沢に使う体験」だった。

セブン&アイが西武を再生できなかったのは、経営力の問題というよりも、「便利」と「豊かさ」の本質的な違いに対応できなかったからではないか。

コンビニの論理は「いかに早く、安く、均質に」であり、それはマスに広げる力を持つ。しかし百貨店の論理は「いかに特別で、豊かで、唯一無二に」であり、大量消費社会の延長線上には存在しない。

セブン&アイが「便利」を極めれば極めるほど、「豊かさ」の再生からは遠ざかる。百貨店を数字上の効率や商品回転率で語る限り、それはコンビニ化の罠に陥るしかない。堤清二さんがつくりあげた西武が本来持っていた文化的価値を理解できなかった時点で、建て直しは不可能だったのだろう。

この対比は、現代社会全体にも通じる。「便利さ」を至上とする私たちは、それによって豊かさを失っていないか。セブン&アイと西武百貨店の物語は、便利と豊かさの非対称性を、もっとも象徴的に示しているのではないか。

資生堂の福原さんが書いた「文化資本の経営」や、ベネッセの福武さんが言った「経済は文化のしもべ」、つまり文化のない経済成長は虚しい。経済はあくまで文化を支える手段である。「効率・量・速さ」偏重の経済では人々は消費を控え、価格競争に陥る。

一方で「文化資本」を基盤にした経済は、体験や意味に価値を感じる消費を生み出す。そこにしかデフレ脱却の鍵はない。

幸いにも日本には歴史と伝統と技術、あるいは自然や街の魅力など多くの素材がある。それらを豊かさの台頭する日本経済への変革に繋いでいくことこそが我々現代日本人の使命ではなかろうか。